エピローグ

日本経済を支えた船場八社の生き残りとして、繊維の未来を紡ぐ。

日本の繊維業界が大きく飛躍し始めたのは明治。その時、綿花の輸入や綿製品の輸出を担ったのは、「五綿八社」と称される繊維商社だった。五綿は伊藤忠、丸紅、日本綿花(現双日)、東洋綿花(現豊田通商)、江商(現兼松)の「関西五綿」を指し、八社は又一・岩田商事・丸栄・田附・竹村綿業・竹中・豊島・そしてヤギの「船場八社」を指す。 そんな日本の繊維業界をリードしていた「五綿八社」を、朝鮮戦争特需の反動不況が襲う。関西五綿は鉄鋼部門を強化するなどして総合商社へと変貌することで持ちこたえるが、船場八社は倒産、廃業、合併を余儀なくされる。その中で船場に本社を残したまま、単独で事業を継続したのはヤギだけであった。

ヤギが不況を乗り越え、今もなお船場八社の生き残りとして躍進し続けられるには理由がある。それは、創業者から受け継がれている「堅実第一主義」「終始一誠意」の精神による慎重で真面目な経営、そして、常に「挑戦」をし続けるバイタリティの両方を兼ね備えているからだ。 予測不能といわれるこれからの社会においても、ヤギはこれまでの歴史と実績、そして創業者のDNAを受け継ぎ、150年、200年、そしてその先へ繊維の未来を紡いでいく。